鴻朧館
游月山荘

有馬温泉 月光園便り

有馬温泉 月光園よりお得な情報をお伝えします。

今日はお茶の日!

はい、お茶の日です。

寒かったので障子を開けてサッサカ中に入ろうとしたところ、

「開けたら、先ずはちょっと中を窺うんですよ」

と、出だしからスパッと×印。

今日もたくさんペケが付きました。足の左右を見事に間違え・こんがらがる。
畳の縁を越えるたび、

『・・・・・どっちだっけ?』

出す足を悩みます。コッソリと悩みます。

何とか先生へご挨拶も済んで、お菓子を頂きました。
今日のお菓子は『しぐれ』。
雨に氷が混ざった雨を時雨というんだそうです。

・・・あたったら痛そうな雨です。

満月みたいな卵色の丸いお菓子で、割ると中の餡と外側の卵色の部分との境目に紅色の薄い層があり、大変美味しかったです。

食べ方が拙かったのか、ホロホロ崩れてしまいましたけれども。

お茶を頂いた後、今日はお辞儀には三種類あることを教わりました。

真(しん)行(ぎょう)草(そう)

と言うそうです。

真は手のひらをベトッと全部つけてする一番丁寧なお辞儀。

行は手の指の第二関節までをつけてするお辞儀。
これはお茶の席で『お先に』などの時に使うお辞儀だそうです。

そして、草。
これは見慣れないお辞儀でした。
指先だけをつけて、あまり前に体を倒さないお辞儀です。
お茶席の亭主が、お道具をたくさん置いてある中でするお辞儀だそうです。
お道具などに呼気がかからないようにだそうです。

「・・・・・先生、背中が曲がらないようにするにはどこを見ればいいですか」

「お茶席ではね、1人分のスペースは畳半畳。前に座っていらっしゃる方の帯の垂れを見るくらいです。」

垂れだったかヒレだったかを忘れてしまいましたが、お太鼓に結んだ帯の下側に出ている部分を見るくらいだそうです。

「でも、お辞儀によって違いますからね」

「は〜ぃ・・・」

にっこり笑顔の先生は私の質問にたくさん答えて教えてくださいます。
今日教えていただいた事が書ききれないので、明日はお扇子の事をお話しますね。

平成19年12月19日(水)
有馬温泉月光園 岡本

滝川に月光園マーク!


昨日、私の元へファックスが参りました。

『12月18日から12月25日まで、滝川で点灯』

こんなファックスを見て、スキップしていかない私ではありません。
実際、昨日ウキウキ滝川に向かいかけました。

「・・・・・。今日、17日ですね。」

向かいかけて、気付きました。
ファックスが届いたのは17日。
点灯するのは、18日から。

そして、本日ジリジリと点灯開始の17時を待ちました。
暇なわけではないと思います。

カメラ片手に、バビュンと游月山荘まで
17時13分に席を立ち、いってまいりました!

「ロウソク、ついてますか?」

「ロウソク?・・あー、あ!アレじゃない?」

游月山荘のロビーにてたずねたところ、ガラスの向こうに、見えました!

「月ですね。」

「月光園のマークですね。」

「撮影してきます。」

喜び勇んで私は月光橋に向かいました・・・が。
暗くなってくると、月光橋は若干寒いです。
みなさま湯上りに湯冷めなさらないようにお気をつけ下さいませね。

月光橋からしっかり見える月マーク。
写真におさめようと背伸びをしてもうまく撮れず、橋においてある椅子に登ってみましたが、やはり背が足りませんでした・・・
そして、椅子の端に立とうとしておちました。

1人でよかった。
目撃されていたら、若干恥ずかしいものです。

何とか一番まともに撮れた物で納得して帰ってまいりましたが、
よくよく考えると、脚立を借りればよかったのですよね。
それでこけると更に恥ずかしいですが。

みなさまもぜひ、ロビーや月光橋から見れますので、御覧になってくださいね。

平成19年12月18日(火)
有馬温泉月光園 岡本

電話の日。

1890年12月16日は東京市内と横浜市内の間で、日本発の電話が開通した日だそうです。

ネコのバスがお友達の、大・中・小といるトロルたちのアニメで出てきたあの交換につないでからかかる電話のもうちょっと前の時代ですね。

117年前は・・・多分明治3年です。

チョコレートではありません。美味しいですし好物ですが、違います。

今は平成ですから、3つ前の元号ですね。

その頃にまだ東京市内〜横浜市内で初!だった電話が、今や携帯電話として、ほぼ1人に1台の勢いで持っています。

交換も必要なく海外でも使うことができるものがあり、コードも要らず、あまつさえポケットに入ってしまう上に色んな音が鳴り、文字でのやり取りも可能な上写真まで撮れる。
機種によってはテレビは見れるし、クレジットカードやお財布の代わりにもなり、ラジオが聞けて辞書の機能が付いていて、地図がしゃべって現在地から目的地までの道案内もしてくれる。

当たり前になっている機能ですが、こうして書き上げてみると携帯電話というものはものすごく優秀な機械です。

使わないときは手のひらサイズ。

まぁ若干問題といえばカバンの中に入れておくと行方不明になることがあるということですが、それはカバンの中の整理の問題ですので置いておきましょう。

この便利さ、当時の方が見たら目を回しそうです。

あまりに便利すぎて私も目が回りそうになりましたが、

10年ひと昔、という言葉にそっていくと、もうそろそろ12昔前です。
人間の探究心は、モノをここまで進化させるのですね。

今から117年先は、どんな時代になっているのでしょうか。
やっぱり、それを見ると私たちも目を回すのでしょうね。

平成19年12月17日(日)
有馬温泉月光園 岡本

百円玉記念日・・・?!

1957年12月10日に補助貨幣として、戦後最初の百円硬貨が発行されたことに由来して、

なぜか今日は百円玉記念日だそうです。

それで思い出したことは、私は興味関心がまったくなかった、もしくはむしろ理解する前に口に入れてしまいそうなお年頃だった頃。

日本に500円硬貨が誕生いたしました。

それまでは500円紙幣だったそうです。岩倉具視の肖像画の紙幣だったそうですよ。

その頃の一万円札といえば、聖徳太子の肖像。

今では福沢諭吉さんですね。

聖徳太子が実在したのかどうなのか、あの肖像画は本当に聖徳太子なのかなど、一時期騒がれたものですが、真実は当時を生きていたかあの肖像を描いた人にしかわからないものでしょう。

子供の頃から聖徳太子と覚えて育ってきたため、私にはウマヤトノオウジといわれても、とっさにピンときません。

それこそ、ベートーヴェンの有名な曲、“エリーゼのために”が、本当の名は“テレーズのために”だったのでは?(テレーゼ・フォン・ドロスディック夫人の手紙箱からこの楽譜が見つかったのです)等といわれても、

「ねぇ、あの曲なんて題名だっけ?」
「あぁ、それはね・・」

というときにやっぱりとっさに出てくるタイトルは

“エリーゼのために”ではないでしょうか。

今では百円硬貨が存在しないことが想像できないほど馴染んでいる硬貨たちですが、
初めてこれらの硬貨を手にした時、どんな気持ちだったのでしょうか。

一番近い物を探せば、数年前に新渡戸稲造さんから樋口一葉さんに肖像が変わった五千円札を手にしたとき、でしょうか。

平成19年12月11日(火)
有馬温泉月光園 岡本

人形筆って、ご存知ですか?

有馬の人形筆といえば、伝統工芸品だそうです。
ご存知でしたか?

ちなみに、私は自宅で見たことがあるものの、
それが有馬の人形筆であるとは気付きませんでした。
生活に密接しているとそういうものなのだと言い訳をしておきます。

さて、この人形筆ですが、なぜ人形筆というかと申しますと、

筆を立てると軸のてっぺん(正確には軸尻というそうです)から

ぴょこん

と人形が顔を覗かせるのです!

なんとも愛らしい仕掛けの筆はその軸も糸で雅やかに飾られており、麗しいばかりです。もし墨をはねて汚れたらと思うと、ちょっと使うのがもったいないですね。

さて、この有馬の人形筆。
この人形筆にも歴史があります。生まれた由縁が。

お話は、奈良時代に遡ります。
奈良時代といえば、都を奈良に遷都し、平城京となった時代。
遣唐使も度々海を渡った頃ですね。

古事記によると、この奈良時代の孝徳天皇はお妃さまに御子ができないことを嘆かれていました。でも、有馬温泉を訪れ、逗留されたところ、まもなくご懐妊し、有間皇子を授かったそうです。
その逸話から、ずっと時間の流れた1599年。神戸の伊助という人がそのお話にヒントを得て人形筆を考案したそうです。昔は今も一般的な細筆と同じような簡素な軸だったそうです。それが大正末期から、今の人形筆のような、幾重にも絹糸を巻いた華やかな装丁になったそうです。
今も昔も、女の子はかわいい物やきれいな物が大好きです。
筆は昔の方にとって日常的な筆記用具ですが、そこにも愛らしさを求めたのかも知れません。

でも、昔の方は使っても、墨が飛んで汚れてしまったりしなかったのかしら・・・?
そんなことが気になったおかモチでした。
月光園の館内でも、この有馬の人形筆を展示・販売しております。
見るだけでも愛らしい筆、ぜひお土産のひとつにご一考くださいませ。

平成19年11月26日(月)
有馬温泉月光園 岡本