滝本神社
今月10月の24日に滝本神社で秋祭りが行われます。
場所は・・・当月光園鴻朧館入り口のはす向かい。
昔ながらの神社らしい、急な石段がお社への道です。
この滝本神社の秋祭りで新たな発見がありました。
なんと、月光園の昔の住所は、今の有馬町ではなく、滝本町だったそうです!
なので秋祭りのご案内を発信している自治会も滝本町自治会!!
有馬温泉の町は有馬町だと思っていた私ですが、
有馬町は新しい町名だったのです。
先日湯泉神社の秋祭りがあり、今月は神無月なので神様方は出雲へ出張。
来月には戻ってきてゆっくりするのでしょう。
そんなお話をしていましたが、滝本神社の神様はどうやら
出雲でのお仕事が終わり次第、新幹線かジェット機に乗って帰ってくるようですね。
一年に一度の肩の荷が下り次第すぐに戻って、温泉でのんびりしたいのでしょうか。
丁度昨日から朝夕の涼しさが強まってきましたので、温泉を楽しむには絶好の季節です。
鴻朧館の窓から見える落葉山の色も、夏に比べて少し変わって来た様に思う今日この頃。
神様といえども、温泉でのんびりしながら秋の風景を楽しみたいのかもしれません。
皆さまも急ぎ足で帰ってくる様子の滝本神社の神様が楽しみにしているだろう風景と温泉のある有馬へいらっしゃいませんか?
ちなみに、有馬温泉にお越しの際は朝夕用に軽い上着を一枚お持ちになられることをおすすめします。
昼間に日が照っていると暖かいですが、風はやはり涼しいです。
暑い時は脱げばしのげますが、肌寒い時に羽織るものがないとお体にさわりますので。
そんなときは温泉がおすすめですが、温泉は体が芯から温まって、あがったときは暑く感じることもしばしば。
薄着で涼んでしまいがちですが、風邪は万病の元。
温まった後の湯冷めにもお気をつけくださいね。
平成19年10月14日(日)
有馬温泉月光園 岡本
有馬の人形筆
有馬筆 ひょいと出たる 言のはも 人形よりは めづらしきかな
本居宣長が有馬の人形筆について詠んだ歌です。
有馬の伝統工芸品に指定されている人形筆。
誕生は孝徳天皇が有馬温泉に滞在中に子宝(有間皇子)を授かったことにちなんだものだと言われ、
そのため“子持ち筆”とも言われるそうです。
寝かせているときは柄の部分に色とりどりの絹糸が巻かれ、その柄も美しい筆。
文字を書こうと立てると、柄の上の部分からひょっこり顔を出す小さな人形。
これには男の子と女の子があると言うことです。
赤い着物が女の子で、緑の着物が男の子。
セットになった夫婦筆は、子宝授与の縁起物だそうです。
そんなおめでたい有馬の伝統工芸品ですが、本来筆ですので文字を書きます。
そのこととかけて詠った本居宣長もやっぱりはじめてみた時はびっくりしたのでしょうか。
ぜひ有馬にお越しの際は一度手にとってごらん下さい。
平成19年9月18日(火)
有馬温泉月光園 岡本
【有馬温泉月光園便り】癒しの森の魚屋道に纏わる昔話
以前にご紹介しました有馬癒しの森内の魚屋(トトヤ)道ですが、次のような昔話が語り継がれております。
魚屋道は昔、神戸市の海辺近くの魚屋さんが、採れたての新鮮な魚を毎日有馬温泉に運ぶ為、六甲山を越えて運んだことからその名前が付いております。
ある日魚屋道を若い魚屋が通っていました。この魚屋はとても動物好きで、この山中にはお腹を空かせた山犬がいると思い、余った魚を投げていました。
有馬温泉からの帰りが遅くなった際、1人でこの魚屋がとぼとぼと六甲の山道を歩いていると、一匹の大きな山犬が現れます。狼だと思った魚屋さんは必死で逃げようとしたのですが、山犬が着物の袖を引っ張って、大きな岩陰に引きずりこまれてしまいます。
その直後、森から狼の群れが現れ、山道を歩いて行ったそうです。つまりこの山犬は魚のお礼にこの魚屋さんを助けたのですね。
それからもこの魚屋さんは、魚が余るといつもこの山に魚を投げ、山犬に与えたそうです。
今の魚屋道は有馬癒しの森として整備され、ハイカーや登山家で賑わっております。
平成19年7月10日
有馬温泉月光園 門口
【有馬温泉月光園便り】金泉の不思議なお話
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有馬温泉独特の赤湯として有名な金泉ですが、この金泉の泉源は非常に高温なものが多く、高い所だと94℃を超えるところもあります。
しかし有馬温泉近辺には火山はありません。それなのに熱過ぎると言っていいような温泉が湧き出ています。このことはプレートのエネルギーである、マグマの熱であるなどの諸説があります。さらに不思議なのは、有馬周辺の温泉から湧き出ている同質の含鉄泉は高温ではないということです。有馬町の限られたごくごく狭い地域だけ高温の金泉が湧き出しているのです。 また有馬温泉の金泉は最初はここまで高温ではなかったようです。そのままの入浴が不可能なほどの高温の温泉となったのは太閤秀吉の時代だそうです。秀吉の時代に大地震があり、その後、高温の温泉が湧き出るようになったそうです。その後、長野県の浅間山が1783年に噴火活動をした際に湯の温度は普通の水程度まで下がったのですが火山活動停止後、高温に戻ったということです。さらに明治32年に六甲山が数日間に渡って鳴動する現象があり、このときも湯の温度が上昇して湧き出す量も増えたらしいです。 この原因ははっきりとは分かっていないそうです。 写真は月光園鴻朧館大浴場の露天風呂(上)と当館自慢の川沿いのかけながしの露天風呂(下)です。 平成19年6月30日 有馬温泉月光園 門口 |
【有馬温泉月光園便り】願いの庭
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月光園より角の坊さんを右に折れ、階段を上ったところが願い坂となります。その願い坂には有馬の工房がございます。その有馬の工房の横あたりに”願いの庭”がございます。行基僧と三羽ガラスの像がありますのですぐに分かるかと思われます。
この三羽がらすは、有馬温泉の守り神として祀られております。有馬の歴史は非常に古く、神代まで遡ります。 神代の昔に大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が有馬を訪れた際に、水浴びをしていたカラスが数日で傷を治したのを見て、その水たまりを調べると高濃度の温泉だったというのが有馬の歴史の最初だそうです。そしてこの温泉の在り処を教えてくれたカラスだけが有馬に住むことが許されたそうです。 行基僧は有馬温泉の発展に貢献した人物の1人として祀られております。行基の活動により有馬温泉は広く余に知れ渡ったようです。 平成19年6月28日 有馬温泉月光園 門口 |
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