鴻朧館
游月山荘

有馬温泉 月光園便り

有馬温泉 月光園よりお得な情報をお伝えします。

【有馬温泉月光園便り】有馬の泉源を巡る”御所泉源”


 阪急バス横の細い通路を登っていきますと、有馬名物の赤いポストがございます。商店街との四つ角を横切るとすぐそこに御所泉源がございます。この泉源から湧き出るお湯は83度の金泉で、周りは庭園に整備されています。

泉質:含鉄ナトリウム、塩化物強塩高温泉
温度:83.5℃

【有馬温泉月光園便り】歴史ある岩、袂石


 ある時、熊野久須美命(くまのくすみのみこと・源泉神社の祭神)が狩場を通られた際に、松永たんぽぽ城主が葦毛の馬に乗り、重藤の弓と白羽の弓と白羽の矢を持って、鷹狩をしていました。松永城主は怪しく思って熊野久須美命を射ようとしました。熊野久須美命は袂から松永城主に向って小石を投げつけられました。
  この小石が年月を経て大きくなり、袂から投げられたので、袂石や礫石と言われるようになったそうです。その後有馬では葦毛の馬や重藤の弓、白羽の矢を持って入ることが禁じられ、持って入れば晴天が急に曇り、雨風が激しくなると伝えられています。
 
 袂石は神戸電鉄有馬温泉駅よりすぐの太閤橋を渡ったところにございます。
 【高さ約5m、周囲約19m重さ約130トン】

問078-904-0708(有馬温泉観光総合案内所)
神戸電鉄有馬温泉駅すぐ

【有馬温泉月光園便り】太閤の湯殿館


 有馬温泉では、古くから「太閤さんの湯殿がある」と言い伝えがありました。
 1995年の阪神淡路大震災で壊れた極楽寺庫裏下から秀吉が造らせた「湯山御殿」と見られる湯船や庭園の遺構、瓦や茶器などが400年の時を経て発見されました。
 太閤の湯殿館は、発掘された湯船の遺構や出土品、茶器、瓦など、太閤秀吉がこよなく愛した有馬温泉の貴重な歴史・文化を紹介する博物館のようなものです。 また、敷地内では「湯山御殿」の一部を公開しています。これは立ち寄りの価値ありです!!

問 078-904-0708(有馬温泉観光総合案内所)
神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩10分
入館料:一般¥200 児童及び生徒¥100 

平成19年4月16日 有馬温泉 月光園 門口

【有馬温泉月光園便り】天神泉源


日本最古の歴史を持つ有馬の湯には、多数の源泉があります。なかでも天満宮の境内から絶え間なく湯煙を吹き上げる天神源泉は、有馬のシンボル的存在で、多くの観光客が訪れます。
  有馬温泉は含鉄強食塩泉と炭酸泉の二種の湯が楽しめます。泉は含鉄強食塩泉の源泉ひとつで、天神源泉は地下185mから湯を汲み上げています。

 平成19年4月15日 有馬温泉月光園 門口

【有馬温泉月光園便り】ねね橋と秀吉の像


六甲川と滝川が合流し、有馬川になるところ(有馬温泉の入り口)に架かる朱色の橋が「ねね橋」。そのほとりの「ねね像」と湯けむり広場の「太閤秀吉の像」は向かい合い、まるで話しているかのような雰囲気です。 有馬に別邸まで建てたねねは、秀吉と金泉につかり、しばしの戦乱を忘れる時を過ごしたのかもしれませんね。

  ねね像は、有馬川を挟んで太閤秀吉の像と見つめ合っているように建っています。ねねはご存知の通り太閤秀吉の正妻。有馬温泉を気に入っていた秀吉は、妻のねねや千利休などを連れてたびたび有馬を訪れていました。
 ねねは、14歳の時秀吉と結婚。 秀吉が信長に仕え初めて7年目、まだまだ低い身分でした。ねねは浅野家の養女でしたが母方の姓が木下ということで入り婿の形をとり、この後、秀吉は木下藤吉郎と名乗ることになりました。

 ねねには最後まで子供ができませんでした。林渓寺で授かる“はらみの梅”を食べて温泉につかると必ず懐妊すると言われていたが、ねねは梅干が大嫌いで食べなかったからだという伝説が残っています。
 秀吉は、1598年にこの世を去るまでに9回(15回)も湯治に訪れました。秀吉が同じ温泉に何度も遠路はるばるやってくるというのはまさに前代未聞の事ですが、子供の恩恵にあやかりたいと願っていたのかもしれません。その影響からか有馬温泉は、今でも子宝の湯として有名です。

平成19年4月14日 有馬温泉月光園 門口